さようならの”エヴァンゲリオン”

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2021年3月8日、エヴァが終わりました。終わってしまったのです。

 

エヴァとの出会いは2005年。家の近くにブックオフが出来て通い始めた頃です。
週刊少年誌の作品よりも青年誌向け作品を好んで立ち読みしていた私の目に”新世紀エヴァンゲリオン”という文字が目に入り、なんとなく手にとったのが全ての始まりでした。

ガンダムとは違う人造人間エヴァンゲリオンという兵器、迫力ある戦闘シーン、年齢も近い少年少女の葛藤など、当時10歳のオタク(未成熟)には刺激的で、細かくもすべてを語られないエヴァに急速に惹かれていきました。当然コミックスは当時発売されていた分すべて買いました。

そこからレンタルビデオでテレビシリーズと旧劇場版を一気に鑑賞。インターネットに転がっていたファンたちの考察スレなどもチェックしながら、どんどんのめり込んでいき、暫くはエヴァ一筋(アスカ派)といった感じでした。思い返せば10歳に対して刺激強すぎです。

 

で、2年後の2007年に新劇場版:序が公開。劇場に足を運ぶことはできませんでしたが、後日レンタルDVDを借りてテレビシリーズ一緒のようでまったく違うエヴァの世界にどうしようもなく浸ってしまいました。いや、あんなヤシマ作戦を見せられたら男の子全員好きになっちゃうでしょ、無理無理。

2009年の新劇場版:破は同級生と映画館に行き、同級生共々、テレビシリーズとは全く違う新しいエヴァの世界から戻ってこれなくなってしまいました。
ちなみに、この破で永遠のヒロインとなる女性と出会うことになります。真希波・マリ・イラストリアスです。新劇場版:破からの新キャラクターでファンの間では賛否両論でしたが、私は一発で惚れてしまいました。いやだって眼鏡、おさげ、タイツですよ(キモオタ感)。

2012年に新劇場版:Qが公開された時も劇場へ足を運びました。びっくりしました。これは本当にエヴァなのか3回くらい目をこすった覚えがあります。でもエヴァでした。学校ではアニメオタクではない同級生にバカみたいにエヴァの話をして飽きられました。それくらいQの内容には驚きを隠せませんでした。いや、だれだってあんなの驚くでしょ。

 

そんな新劇場版:Qから8年経った2021年、ついに完結のシン・エヴァンゲリオン劇場版が公開。制作スケジュールの遅延や新型コロナウイルスの感染拡大を受けて2度の公開延期がありましたが、しっかり会社に有休を届けて初日の朝一にエヴァを見届けました。

作品全体の出来、物語の伏線回収について、なおすべてを語ってくれない設定、庵野監督特有の特撮イズムやリスペクト作品を連想させる小ネタなど語るべきことは沢山あるのですが、それよりも『エヴァが終わってしまった...』という虚無感が一押しに押し寄せてきて、とにかくもう一回見なきゃという思いで1回目の上映終了から30分ほど間隔をあけてから2度目の鑑賞。すぐに2回目を見たために物語の反復もできて、しっかり視聴できた故にエンディングで思わず泣いてしまいました。

…ので、さらに10分ほど間隔をあけてから3度目の鑑賞。今度はエンディングが終わって”終劇”の文字が出てきたときに小さく拍手してしまいました。何故拍手したかはわかりませんが、なんか自然と、たぶん制作に携わったすべてのスタッフへの感謝だったと思うんですけど、とにかく感情が、メンタルが、エヴァ的にいえばパルスが崩壊して3月8日が終わりました。

暫くはウマ娘もまともに起動できず、仕事中すら宇多田ヒカルさんが歌う主題歌『One Last Kiss』を口ずさみ、そしてぐちゃぐちゃになる感情をなんとか立て直すことを繰り返し、しまいには仕事終わりに劇場へ行き、埋まらない穴を必死で埋めようと鑑賞を繰り返しました。3月28日現在の視聴回数は11回です。シン・ゴジラが12回でしたが、あれは面白いから何度も見に行ったもので、今回は全然違います。病気だと先輩に言われました。僕もそう思います。

 

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今は大分落ち着いていますが、エヴァが終わったという事実は揺るぎのないものであり、この喪失感・虚無感はウマ娘でも、ゆるキャン△でも、ガルパンでも埋められそうにありません。本当に、なんてことをしてくれたんだ庵野監督。

これから先、エヴァのように色々な意味で社会現象を起こしてくれる、私の心が満たされるような作品が生まれてくることを願い待ちつつ、もう暫くはエヴァの余韻に浸りたいと思っています。